ダーウィンと、「温室の顔」をした犬
生き物は長い時間をかけて少しずつ変わっていく。そんな「進化」の考え方を広めた、イギリスの学者チャールズ・ダーウィン。この人は、大の犬好きでした。
子犬をたたいた日
小さいころ、ダーウィンは一度だけ、子犬をたたいてしまったことがあります。理由は、自分が強くなったような気分を味わいたかっただけでした。
このことは、ずっと心に重く残りました。大人になっても、たたいた場所をはっきり覚えていたほどです。犬が大好きだったからこそ、よけいにつらかったのだろう、と本人は書いています。
犬のほうも、その気持ちがわかったのかもしれません。よその家の犬でも、飼い主よりダーウィンになついてしまうほどでした。
5年ぶりの再会
ダーウィンには、自分にだけなついている犬がいました。ほかの人には吠える、気むずかしい犬です。
22歳のとき、ダーウィンは船に乗って、世界をめぐる調査の旅に出ます。家に帰ってきたのは、約5年後でした。
帰ってきたダーウィンは、試してみたくなりました。この犬は、まだ自分のことを覚えているだろうか。犬小屋に近づいて、昔と同じように呼んでみます。
犬はすぐに飛び出してきました。そして、昔と同じように、散歩についてきたのです。まるで、30分前に別れたばかりのような顔で。
5年も会っていないのに、犬はダーウィンの声も、いつもの散歩も、ちゃんと覚えていました。ダーウィンはのちに、「5年間眠っていた記憶が、一瞬でよみがえった」と本に書いています。
「温室の顔」
のちにダーウィンは、ボブという大きな犬を飼います。黒と白のまじった犬です。
ボブは散歩が大好きでした。散歩に出ると、頭を上げ、しっぽを高くして、うれしそうにダーウィンの前を歩きます。
ところが、散歩には一つだけ、ボブの心配の種がありました。ダーウィンは研究のために、庭のガラス張りの小屋(温室)で植物を育てています。散歩の途中、ときどきそこへ寄り道して、植物の様子を見るのです。
ボブには、温室に寄ったあとも散歩が続くのか、わかりません。だから分かれ道でダーウィンが温室の方へ少しでも体を向けると、ボブの様子は一瞬で変わりました。頭はがっくり下がり、耳もしっぽもだらり。家族はこの顔を「温室の顔」と呼んでいました。
ダーウィンはおもしろがって、わざと温室の方へ体を向けて、ボブの顔を試してみたこともあったそうです。
犬の気持ちを、本にした
1872年、ダーウィンは『人及び動物の表情について』という本を出します。人や動物が、うれしいとき、こわいとき、怒ったときに、どんな顔や姿になるのかを調べた本です。ボブの「温室の顔」も、この本にまじめな観察として載っています。
ダーウィンは、怒っている犬と、大好きな人に会った犬の姿を比べました。
- 怒っている犬は、体をピンと立て、しっぽを固く上げ、毛を逆立てる。
- 大好きな人に会った犬は、体を低くし、しっぽを振り、毛がなめらかになる。
まるで正反対です。
本の絵は、プロの画家にたのんで描いてもらいました。下書きを見たダーウィンは、「怒っている犬は、もっと頭を低くする。耳はいつも前を向いているはずだ」と、手紙で細かく直してもらっています。
本の中で、ダーウィンはこう書いています。
人間でさえ、「大好き」という気持ちを、犬ほどはっきりと表すことはできない。
動物にも心がある。今では当たり前に聞こえますが、それを科学の目でまじめに調べた最初のころの一人が、ダーウィンでした。
名演技のポリー
年をとったダーウィンのいちばんの相棒は、白いテリアのポリーでした。もとは娘の犬でしたが、娘がお嫁に行ったあと、ダーウィンにすっかりなつきます。
ポリーは、なかなかの役者でした。晩ごはんを待っているとき、ダーウィンが前を通ると、わざとぶるぶる震えて、いかにもかわいそうな顔をしてみせます。するとダーウィンは決まって、「この子はお腹がすいて死にそうだ」と言うのでした。ポリーは、そう言ってもらえるのを知っていたかのようだった、と息子は書いています。
ポリーの背中には、やけどのあとがありました。そこに生えてきた毛は、白ではなく赤い色。ポリーのお父さん犬は、赤い毛の犬でした。ダーウィンは「隠れていた赤い毛のもとが、出てきたんだ。わたしの説のとおりだ」と、大まじめにポリーをほめていたそうです。世界的な大学者が、自分の犬の毛で、自分の説を自慢していたのです。
荷造りの音
書斎の暖炉のそばには、ポリーの寝るかごがありました。
ポリーは、書斎で荷造りが始まると、ダーウィンが旅に出るのに気づいて、しょんぼりしました。ダーウィンの留守中、家の人が帰りにそなえて書斎を片づけはじめると、今度はそわそわしはじめます。言葉がなくても、ポリーにはわかっていました。
1882年、ダーウィンは73歳で亡くなりました。その数日後、ポリーも命を終えています。
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出典
- チャールズ・ダーウィン『人及び動物の表情について』(1872年、Project Gutenberg)
- チャールズ・ダーウィン『人間の由来』初版(1871年、Project Gutenberg)
- フランシス・ダーウィン編『ダーウィンの生涯と書簡』第1巻(自伝、1887年、Project Gutenberg)
- フランシス・ダーウィン「父の日常の思い出」(同書第3章、Project Gutenberg版の転載)
- Darwin Online「フランシス・ダーウィンの回想の下書き」
- Darwin Correspondence Project「ダーウィンからリヴィエールへの手紙(1872年4月1日)」
- Darwin Correspondence Project「肖像カタログ:アルバート・グッドウィンの水彩画」(ポリーについて)
- Darwin Correspondence Project「Darwin and dogs」
- Smithsonian Magazine「Expressions: The Visible Link」
ダーウィンや息子の言葉は、英語の原文からわかりやすく訳したものです。画像は、ダーウィンの肖像(ジョージ・リッチモンド画、1840年)と犬の挿絵(1872年)がパブリックドメイン、テリアの写真が Pexels のものです。