ヘレン・ケラーと、海を渡った秋田犬
1937年6月、ヘレン・ケラーは秋田駅に降り立ちました。出迎えた記者たちに、彼女はこう言います。
「秋田犬が1匹ほしい」
犬で、その国を知る
目も耳も不自由だったケラーは、この年、日本各地で講演をして回っていました。旅の中で、亡くなった飼い主を待ち続けた秋田犬、ハチ公の話を聞いたといわれています。
当時、ケラーはアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの犬を飼っていました。犬は、その国を知る手がかりだったのです。通訳に「犬が5匹になって大変ですよ」と言われても、彼女は引きませんでした。
「日本とアメリカの人々を結ぶために、ぜひ1匹ほしい」
お金はいらない
名乗り出たのは、秋田警察署の巡査、小笠原一郎さん。大館出身、剣道五段の30歳です。差し出したのは、生後75日のオスの子犬、神風号でした。
ケラーは代金を払おうとしましたが、小笠原さんは「お金がほしいなら、最初からあげるなんて言わない」と受け取りません。最後は署長が間に入り、「国際親善の贈りものに、お金の話は無用」で落ち着いたと、当時の新聞は伝えています。
カメラの前に立たされた小笠原巡査と神風号
(秋田魁新報 1937年6月/秋田犬新聞より)
神風号は、アメリカに渡った最初の秋田犬になりました。日本と中国の戦争が始まる、ひと月前のことです。
毛皮を着た天使
けれど、その年の11月。神風号は重い病気にかかり、生後8か月にもならないうちに死んでしまいます。ケラーは小笠原さんに手紙を書きました。
ひとつの喜びが、私の暮らしから消えてしまいました。毛皮を着た天使がいるとしたら、それはまさに彼でした。
日本の人々からの使者
ケラーの悲しみを知った秋田の人たちは、もう1匹を贈ることにします。1939年6月、秋田県知事の手配で海を渡ったのは、神風号の兄、3歳の剣山号でした。
剣山号は、コネチカット州のケラーの家で長くかわいがられました。故郷の大館と同じように雪の積もる冬を、元気に駆け回ったそうです。ときどき家を抜け出して行方がわからなくなり、地元の新聞に載ったこともありました。
ケラーは秋田犬について、こうも書いています。
秋田犬には、私が心ひかれるものが全部そろっています。やさしくて、そばにいてくれて、信頼できる。
日本とアメリカの仲は、年ごとに冷えこんでいきました。そんな中、剣山号が来た翌年に、ケラーは小笠原さんへこう書き送っています。
私は彼を、あなたから贈られた愛犬としてだけでなく、日本の人々からの使者として愛しています。
その翌年の冬、日本とアメリカは戦争を始めます。
秋田駅での再会
戦争が終わって、ケラーはふたたび日本を訪れました。秋田駅で小笠原さんと再会すると、神風号と剣山号のお礼を伝えたといいます。
「日本とアメリカの人々を結ぶために」。秋田駅で口にした願いは、戦争をはさんでも、ほどけませんでした。
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出典
- 秋田犬新聞(秋田魁新報社)「ヘレン・ケラーと秋田犬の深くてうるわしい関係」
- American Kennel Club「Helen Keller Was a True Dog Lover」
- Psychology Today「Helen Keller and the First Akitas in the United States」
- American Printing House for the Blind「Paws and Reflect: Helen Keller and Her Dogs」
- America Comes Alive「Helen Keller's Dogs」
- Northland Akitas「Helen Keller and Akitas」(小笠原一郎の回想の英訳)
ケラーの言葉のうち、手紙の2つは秋田魁新報の訳をもとにした意訳、秋田犬についての言葉は英語からの意訳です。写真は、秋田犬が Pexels、ケラーがウィキメディア・コモンズのパブリックドメイン画像、新聞は秋田魁新報(1937年)のものです。