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「犬公方」と呼ばれた将軍

江戸幕府の5代将軍、徳川綱吉。犬を大切にしすぎて、人々から「犬公方(いぬくぼう)」、つまり「犬の将軍」とからかわれた人です。

黒い装束で座る徳川綱吉の肖像画
徳川綱吉(1646–1709)

彼が出した「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」は、天下の悪法と言われてきました。学校でそう習った人も多いと思います。でも最近、その見方が少しずつ変わってきています。

「戌年だから」は本当?

よく知られているのは、こんな話です。跡継ぎの息子を幼くして亡くした綱吉に、お坊さんがすすめた。「上様は戌年生まれ。犬を大切にすれば、お子が授かります」。

綱吉が戌年生まれなのは本当です。でも、そのお坊さんが江戸に来たのは1686年。生き物を守る命令は、それより前から出はじめていました。この話は、あとの時代につけ足されたものではないか、と考えられています。

犬だけではなかった

生類憐みの令は、1本の法律ではありません。綱吉の時代に出された、生き物を守るたくさんのお触れをまとめた呼び名です。

守る相手は、犬だけではありませんでした。牛や馬、鳥、魚、虫。そして、人間もです。

1687年には、捨て子、病人、弱った牛や馬を捨てることが禁じられました。捨て子を見つけたら、届け出を待たずに、その土地の人が面倒を見て育てるように、とも命じています。

白い犬の頭をなでる綱吉を描いた浮世絵
犬をなでる綱吉(左)。明治時代に月岡芳年が想像で描いた浮世絵

そんな命令が必要なくらい、当時は弱いものを捨てることが珍しくありませんでした。戦国時代の荒っぽい気風も、まだ残っていた時代です。犬は、食べられることもありました。それが、この命令のあとは食べられなくなります。

綱吉自身も、歴代の将軍が楽しんできた鷹狩りをしませんでした。

犬の帳面

江戸の町では、飼い犬の数や毛の色を帳面に書き出すように命じられました。「犬毛付帳(いぬけつけちょう)」と呼ばれる、犬の名簿のようなものです。町や武家屋敷、まわりの村ごとにつくられました。

中野の大きな犬小屋

1695年、今の東京・中野に、幕府の大きな犬小屋ができます。広さは、はじめ16万坪。のちには約30万坪、東京ドーム20個分ほどにまで広がりました。江戸の町の犬が専用のかごで運ばれ、10万頭ほどが暮らしたともいわれます。

しっぽを巻いて立つ赤毛の柴犬
中野の犬小屋の犬ではありませんが、日本の犬です

今の中野駅のまわりが、まるごと犬小屋だったことになります。ちなみに、綱吉本人が中野に来たという記録はありません。

行きすぎた面も

ただ、いいことばかりではありませんでした。犬小屋のお金は、江戸の町の人や村に割り当てられました。犬を傷つけて、死罪や島流しになった人もいます。

「蚊をたたいただけで罰せられた」という話も有名ですが、これは当時から噂として伝わっていたもので、本当かどうかはわかっていません。

人々の不満はたまり、綱吉は「犬公方」と呼ばれるようになります。

残ったもの

1709年、綱吉は64歳で亡くなりました。生類憐みの令のほとんどは、すぐに取りやめになります。中野の犬小屋もなくなり、のちに桃の木が植えられました。

けれど、捨て子や、病気の牛や馬を捨ててはいけないという決まりは、残りました。綱吉が亡くなったあとも、長く幕府の法として守られ続けたのです。

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